本人は無意識の東大生

本人は無意識の東大生

「こちら東大生」と紹介されれば、私達は大概、驚きや尊敬の念をその表情に現してしまいがちです。立場を置き替えて「自分が東大生だと紹介されたら、やはり誇らしく感じるだろうか?」などと考えてしまいがちですが、当事者の東大生からすれば、単にありのままを紹介されたに過ぎません。周囲が思う程「東大」を意識していないからこそ、市全体が好印象に繋がっているのです。
我が子の家庭教師が東大生となれば、母親にとっては時に井戸端会議の自慢のネタであり、父親にとっても「ああ、ウチの家庭教師は東大生なんだ」の一言に、何かしらの優越感を覚えても不思議ではありません。「東大」が有するステータスは時代を問わず、揺るぐ事は無いのです。

一方の家庭教師である東大生と勉強を教えてもらうお子様の間には、そういった先入観は基本存在しません。家庭教師は頼れる兄貴分もしくは姉貴分的存在であり、東大生だからと妙に構える事無く接してくれる教え子とのコミュニケーションにも、大人達とのそれに時に求められる、いわゆる「大人同士の距離感」は不要です。心を開きあった人間関係が築かれた上に、東大生ならではの指導がお子様に届く訳ですから、成績向上に繋がるのも極めて自然な流れなのです。